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皇居東御苑と北の丸公園へ [江戸城のお濠めぐり]

江戸城のお濠と城門めぐりも最終回を迎えた。
前日までの予報では曇りか雨だったので、いままで撮影して溜まっている写真の整理を
計画していたが、目が覚めると太陽がサンサンと光をふりそそぎ、暑い風が室内に流れ込んできた。
こりゃあー 計画変更!!
先日は金曜日だったので、大手門がクローズしていたが、本日はOK!
「大手門」から入り、「大手三之門」、「百人番所」、「中之門」、「中雀門」、「白鳥濠」、「汐見坂」、「富士見櫓」
「石室」、「天守台」、「北桔橋門」、「平川濠」、「天神濠」、「平川門」、「代官町通り」、「空堀」、「皇居警察の見張り台」、「北の丸公園の滝」、「昭和天皇野立所」とを撮影してきた。
残すは「二の丸庭園の秋景色(5月のつつじは撮影済み)」と「北の丸公園の秋景色」と「代官町通りの秋景色」と
「天皇誕生日の皇居」と「一般参賀の皇居」となった。
今年と来春の「乾通り抜け」は中止になったので、来秋の「乾通り抜け」が今後の目標となる。

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第49回伊勢原・道灌まつり [江戸城のお濠めぐり]

江戸城を研究している者として、「太田道灌公」を主役としてイベントを
行なっている伊勢原市の「道灌まつり」を取材しない訳にはいかない。
毎年、太田道灌役の男優と、北条政子役の女優の人気にイベントの盛り上がりが有ります。
今年の「太田道灌公鷹狩り行列」には、『三田村邦彦』さん。
「北条政子日向薬師参詣行列」には、『杉本 彩』さんが選ばれました。

直行便でご覧頂けます。 ⇒ ここをクリック</ins>

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オリンピック用の道路建設 [江戸城のお濠めぐり]

TOKYO2020のために、羽田・都心・選手村を結ぶ道路を造ろうと、浜離宮前の交差点は長い事、大工事が続いている。
この道路は築地の敷地へ・・・・築地を早く退かせたいと、しかし、移転先が大モメである。
1964東京のために、羽田・都心・選手村を結ぶ道路を造ろうと、江戸城の外濠の川の中に柱を立てて、片側2車線の高速道路を造り、新幹線も腰をかがめて高速道路の下を潜り抜け、明治政府が江戸城は徳川のものでは無いと、外濠を埋めたて、西洋風の建物を乱立、戦後は戦後からの復興を錦の御旗に、立派な石垣の上を高速道路で闊歩し、内濠の水面までを高速道路で走らせた。

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内濠めぐりの2日目 [江戸城のお濠めぐり]

雨の心配も無く、肌寒い天候だと・・・ポシェット着けて、リュックを背負うと暑いのは苦手。
地下鉄を「大手町駅」で下車。
大手門、大手濠、平川橋、竹橋、清水濠、清水門、牛ヶ淵、田安門、武道館、千鳥が淵、戦没者墓苑、半蔵濠、半蔵門と、内濠めぐりは都合2日間掛かった。
次回はいよいよ、「皇居東御苑」に入ろう。

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初めて行きました。 [江戸城のお濠めぐり]

千鳥ヶ淵・・・初めて歩きました。
桜並木も春になったら歩きたいね。
靖国神社にはたまに行くけど・・・ここまで行ったことなかった。

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2016-09-29 [江戸城のお濠めぐり]

二重橋の桜田濠から直接つながるお濠には2本の橋がかかっています。
手前の橋は有名な石造りのアーチ橋で、正門石橋といいます。
奥に見える橋は、正門鉄橋と呼ばれています。
一般的には、この2つの橋の総称が二重橋ということになっています。
江戸時代には、奥の橋は、木製の橋だった時代、お濠が深くて橋脚が立てられないため、
橋桁を渡して土台にし、その上に橋脚を立てて橋を渡していた。
橋桁が二層式になっていたことから二重橋と呼ばれた経緯が有ります。

江戸時代の二重橋の写真はネットから借用しています。

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スッポン鍋にしたら何人前かしら [江戸城のお濠めぐり]

日比谷濠でスッポンに睨まれた。
動画も有ります。
https://www.youtube.com/edit?video_id=rqlcs5IiCAQ&feature=em-upload_owner

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私と白鳥はスッポンから離れて、散歩を続けます。
続きの動画です。
https://www.youtube.com/edit?video_id=NmK4Qg5w0OE&feature=em-upload_owner

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内濠めぐりを開始 [江戸城のお濠めぐり]

外濠めぐりは四日間、今日は内濠めぐりを半蔵門前から始め、桜田濠、桜田門、凱旋濠、日比谷濠、馬場先濠、皇居外苑、二重橋、二重橋濠、坂下門、蛤濠、桔梗門、桔梗濠、和田倉濠、和田倉橋と回った。
写真は、桜田濠にて

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外濠めぐりの4日目 [江戸城のお濠めぐり]

万歩計を着けて歩くのは常なること(20年間ほど)ですが、本日は、ドアツードアで24,785歩だった。
地下鉄を新橋駅で下車、前回見落とした場所(日比谷セントラルビル)と、新橋駅側の「幸橋門跡と土橋跡」は、まったく手掛かりが無いので、古地図と現在の地図と対比させながら下調べをしたものを実際に現場で写真に収める手法を取った。
その後、山下門跡、日比谷門跡、数寄屋橋門跡、鍛冶橋門跡、呉服橋門跡、常盤橋門跡、神田橋門跡、一ツ橋門跡、雉子橋門跡、それから、日本橋川の上流へと進み、水道橋の仙台濠まで行ったのだ。

4日かかって外濠を一周したのですが、赤坂見附から虎ノ門、新橋駅、有楽町駅、東京駅を見ながら「一石橋」の手前までは、橋の名前が交差点の名称になっているで、古地図とも結びつくのは楽しいものですが、明治時代の鉄道の敷設や、関東大震災の瓦礫や戦争での瓦礫捨て場に、外濠が選ばれたために、江戸城の面影が微塵も有りません。
しかし、「一石橋」からは、再び水面が現われてきました。
日本橋川なので、江戸時代には無かった橋が、明治・大正・昭和・平成と都市開発に従って架けられました。

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外濠めぐりの3日目 [江戸城のお濠めぐり]

外濠めぐりの3日目は、赤坂見附よりスタート。
前回の弁慶濠の突き当たりに高い石垣が有った。
その石垣が「赤坂見附」の門のあった場所である。
次ぎに向かうのは「溜池跡を通り「虎ノ門」。
赤坂から新橋に向かう道路で「外堀通り」がある。
道路下を掘るのは、土地所有者も少ないだろうし、工事もやり易いので、地下鉄の線路が「外濠跡」に造られているので、道路マップを見ながらお堀めぐりは続けられるが、・・・・遺構の発見にはぶつからない。
3回歩いて見て、感じたことは、お濠のある時代でも、土地の区画調査はされているようだ。
現に、江戸時代のお濠の中央で土地の線引きをしているため、文京区、新宿区、千代田区、港区、中央区と、地図上で境界線を知ると、石垣などの遺構が発見できた。
特に、今回は、地表の道路の『外堀通り』と100メートル離れた道路が江戸時代のお堀跡のようだ。
「虎ノ門」、「幸橋門」、「芝口御門」、「浜離宮の浜大手門」まで歩いた。
本日の万歩計は、14,130歩でした。

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